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7月のテーマ 医薬品の開発の歴史

医薬品の開発は偶然の歴史でした。

昔は、「何がどうやって体に効果を表すか?」なんていう知識は全くないのです。そもそも、その症状の原因が同じかどうかだってわからないのです。「発熱した」という単純なこと1つでも、風邪なのか、肺炎なのか、腹膜炎なのか、分からない状態で、同じ草や物質を飲ませて効くかどうか、なんて判定できる訳がありません。

医薬品を開発する、ということは、「病気を定義づける」ということから始まります。「熱が出ていてお腹が痛い人」と、「熱が出ていて咳が出ている人」は別の病気だ、ということに気が付いて、お腹が痛い人にはこれ、咳が出ている人にはこっち、というように飲ませるものを変えなくてはいけません。

でも、「この物質がどうして効くのか?」は長い間わかりませんでした。とりあえず飲ませてみて、効いたものを薬にするしかなかったのです。人に効果を発揮するものは薬だけではありません。トリカブトのような毒もあります。ある物質が薬として効果を示すかどうかを確認するのは命がけだったのです。

長い年月をかけて多くの物質が試されて、漢方薬やハーブなどの自然薬の知識が蓄積されてきました。ある化合物を服用した時に効果を示す、ということは人の体に何らかの影響を与えた、ということです。与える影響は良いものだけ、とは限りません。悪い影響を与えることもあります。これが副作用です。漢方やハーブは自然の成分だから副作用がない、というのは根本的に誤った考えです。自然薬や漢方薬にも副作用はたくさんあります。もちろん命に係わる副作用もあるのです。

20世紀になって化学合成の技術が進展したことによって、多くの種類の化学物質を合成できるようになりました。でも、その化学物質が何に使えるのか?を判断する技術は当時まだなかったのです。だから化学合成の会社は作った物質が何に使えるかを試して、重合するならポリマーに、色が出るなら色素に、毒性があるなら農薬に、薬になりそうなら医薬品に使おうとしたので、巨大化学工業が医薬品の開発をしていたのです。

この時代、医薬品がどうして効くのか、すらわかっていない時代、「医薬品にどんな副作用があるか」、なんてことが十分にわかる訳もありません。

この時代に起きてしまった大きな副作用事件がサリドマイド事件です。

サリドマイドは、睡眠薬として1950年代末から60年代初めに、世界の十数カ国で販売されました。サリドマイドは安全な睡眠薬として単剤で使われただけではなく、合剤で胃薬としても使われ、これらは妊娠初期のつわりの治療薬としても使われていました。

1960年にドイツでそれまでほとんど見られなかった手足に重い奇形のある赤ちゃんが数多く生まれるようになりました。典型的な症状は、肩から直接手が出ているフォコメリア(あざらし肢症)で、ドイツのレンツ博士が1961年11月に奇形の原因としてサリドマイドが疑わしいとの警告(レンツ警告)を発表して、欧州など各国でサリドマイドの販売停止と回収が行われました。米国では1960年に承認申請が行われましたが、動物実験データの不備を指摘されて審査を行っている最中にレンツ警告がでたことから1962年に承認申請の取り下げが行われ、サリドマイドが販売されることはありませんでした。

日本ではレンツ警告から10か月遅れて1962年9月に販売が停止されましたが、市場からの回収はされませんでした。このため日本での被害が拡大しました。

その後もサリドマイドがなぜ胎児奇形を引き起こすのかはわかりませんでした。ようやくそのメカニズムがわかったのは2019年になってからです。

このサリドマイド事件があったことから、医薬品の安全性評価や承認プロセスの厳格化がなされました。

一方で、医薬品開発に革命を起こしたのは、イギリスの化学者ジェームス・ブラック(1988年ノーベル医学・生理学賞)で、「医薬品は体の中の特定の物質(標的分子:レセプター)に結合して効果を発揮する」という考え方で薬を作り出しました。

英国ICIで、アドレナリンベータ受容体に結合する薬物を探し出して、ベータ受容体の作用を遮断する薬プロプラノロールを1962年に発明したのです。その後、英国スミスクライン&フレンチラボラトリーズに移籍して、ヒスタミンH2受容体の作用を遮断する薬シメチジンの創製に成功しました。シメチジンが開発されたことによって、それまでは手術しか治療法がなく、命を落とすこともあった胃潰瘍・十二指腸潰瘍の治療が、薬物でできるようになったのです。

これらの医薬品が開発されたことから、「標的分子を特定して、それに選択的に結合する化合物を開発する」という現代の創薬研究が始まり、医薬品の開発は、「とにかく化合物を合成してから何に使うか考える」方法から、「体の中の標的分子を決定してそれに結合する物質を探す」方法への大転換を起こしました。この結果、製薬会社は大きな化学会社の一部にいる必要がなくなり、医薬品部門のスピンアウトや合併が引き起こされることになったのです。

2000年代になってヒトゲノム情報が解析され、遺伝子組み換え技術が進歩したことによって医薬品として使えるモダリティは低分子化合物だけではなく、抗体やmRNAにまで広がっています。しかし、医薬品のターゲットとなり得る標的分子には限りがあるため、創薬の難易度は上がっているのが現状です。

レセプター創薬が進展したことによって、薬がなぜ効くのか、の理解は進みましたが、まだ完全に分かっている訳ではありません。しかし、副作用の予想の制度は上がり、より安全な医薬品を供給できるようにはなってきています。

しかし、医薬品は「病気を治している」のではなく、「体の中の標的分子に働いて体の中のあるメカニズムの働き方を変えている」ことに注意してください。体の中のメカニズムの働き方を変えることで病気を治す方向に向けているだけです。「薬を飲めば治る」というような単純な話ではないのです。

私たちが健康に長生きをするためには、薬に頼るだけではなく、病気にならないように、健康でいられるように生活習慣を考えることが大切なのです。

 

 

 

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