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医薬品は病気を治し、ヒトの命を助けるために開発されてきたものですが、どんな医薬品であってもゼロリスクではありません。
医療用医薬品は数~数10%の頻度で副作用が出現することはごく一般的です。ですから、効果と安全性のバランスを十分に検討しなくてはいけませんし、不要な期間使用したり、不適切な用量で使用することも避けなくてはいけません。医薬品は正しい情報と共に用いられて初めて効果を発揮します。誤った情報に基づいて使用された医薬品は場合によっては重大な被害を発生させます。
製薬会社が行う医薬品のプロモーションに厳重な慎重さが必要とされる理由です。
しかし、過去数十年の間にはサリドマイド事件やスモン事件のように薬によって引き起こされた悲劇がいくつもあります。製薬会社は過去の苦い経験から、自らを律するルールとしてプロモーションコードというルールを作り、不適切な情報提供はしないように、いや、不適切な情報提供ができないような仕組みを会社の中に作ってきました。
私も製薬会社に勤務する医師として、医薬品の安全性を統括する安全管理責任者を務めていましたし、全世界で製薬会社として適切な活動が行われているかを監視・指導するInternal Auditorとしても働いてきました。医薬情報提供の適正化は私が製薬企業で働き始めた理由の1つでもあります。
さて、ご承知のとおり、製薬会社は全国講演会等で医師に講演を頼むことが良くあります。製薬会社が主催しているのですから、当然製薬会社の義務として適正な情報提供が行われなくてはいけません。製薬会社が実施する以上「製薬会社が責任をもって実施した科学的に信頼のおける臨床試験によって証明された情報」や、「各国規制当局によって認証された」適正な情報に基づいて会を実施しなくてはいけません。講演する医師の片手間で行ったような信頼性の低い研究・試験結果や医師個人の考え方で実施している治療法などは、製薬会社の提供する「適正な情報」には該当しません。医師が自分の考えを発表したければ学会で発表すればよいのです。
さて、今回長年かけて我々が作り上げてきたプロモーションコードを冒涜するような事案が発生しました。
9月20日発行のRISFAXで報道された大阪S社のアシテア全国講演会における重大なプロモーションコード違反事例です。
問題の全国講演会は2024年7月21日(日)に東京のホテルで大阪のS製薬会社主催で実施されました。全国から医師を集めて前泊で行う、よくある形式の全国講演会です。
座長は舌下免疫療法では大家とされているO医師、その他、大学教授が薬理関係について、開業医2名がそれぞれ小児と成人での実地治療についての講演を行って、最後はパネルディスカッションというよくある形式です。
私も当日現地で参加したのですが、講演を聴講しているうちに異常に気が付きました。吐き出し法や水飲み法といった添付文書では許容されていない投与法や、本来は100単位で開始して300単位まで数日で用量変更しなくてはいけないはずなのに、「100単位でどれだけ長く投与しても問題ない」というような発言、「3年以上いくら長期間投与しても問題はない」とか、挙句の果てに「ミティキュア(他社製剤)とアシテア(S社製剤)は同一製剤なので、いつ切り替えても問題ない」というような、どこに科学的根拠があるのかわからない、もっと言ってしまうと、科学ですらない妄言のような発表が続きます。そもそもミティキュアもアシテアも自社で製造している訳ではなく、海外の製薬会社のオリジナル製品で、S社は海外から輸入して販売しているだけです。どういう根拠で、「他社製剤と同じです」なんて言えるのでしょう?座長もそれに追い打ちをかけて臨床薬理のド素人でもでたらめとわかるようなまとめの発言を繰り返して会は終了しました。
最後にS社の責任者が壇上に上がって締めの挨拶をしたのですが、その場でも添付文書に沿っていない発表に対しての謝罪や添付文書を遵守するような注意は一切言わず、会は終わりました。
そこで、S社から「講演をした1人の医師の発表資料を差し上げるので、希望者はアンケート用紙の余白にメールアドレスを記入するように」という案内がありました。メールアドレスを収集するには個人情報保護法に基づく案内や同意が必要なはずですがそのような注意事項の記載は何もない、メールアドレス記載の専用欄もないアンケート用紙の余白にメールアドレスを記載するように、との案内です。繰り返しますが、これは2024年7月の出来事ですよ?
さて、翌日、早速S社のアシテアのプロマネから、S社の名前でメールが届きました。そこには、昨日講演をした医師の発表資料(読み原稿付き)や薬剤切替のために患者に説明する資料などが保存されたBOXへのショートカットが添付されていました。PDF化もされていないパワポとワードの原稿です。各医療機関で患者の処方薬を変更する際にどうぞお使いください、という訳です。
私はすぐにS社のMRに連絡を取り、本件が重大なプロモーションコード違反であることを指摘しました。すると、本社からコンプライアンス担当者と当日の実施責任者を含む数名が事情説明のために来院しました。彼らの言い分としては、「講演会までに時間がなかったため、コンプライアンス部門での事前チェックの時間が十分にとれなかったので、使用許可を出した」。私からの指摘を受けて「改めて講演資料をチェックしたところ70%以上が使用してはいけない、社内規定違反の講演内容であった」との説明を受けました。
製薬会社の方であれば、この説明が異常なことはすぐにわかると思います。事前にコンプライアンスチェックをしていて「全体の70%が違反している」ことに気が付かないのなら、コンプライアンスチェックをしていないのも同然です。気が付いていてGOサインを出したのであればコンプライアンスチェックが機能していませんし、違反であることを指摘されたのに当日使用したのであれば実施部門のSOP違反です。こんないい訳が通ると思っていることも異常です。
実は、同じ内容の講演会が行われたのは7月21日が最初だけなく、6月20日、7月20日、7月21日に3回にわたって同じ講師が同じ内容の講演を行っていたことが後に判明しています。つまり、私に説明した「時間がなかった」という説明は虚偽だったわけです。
しかも翌日に、会社名でプロマネが発表原稿を含む大量の資料をメールで参加者に配布しています。誰もチェックをしていなかったのでしょうか?「プロマネの独断専行」とでも言いたかったのでしょうか?RISFAXにはプロマネは更迭されたという報道がありました。トカゲの尻尾を切れば終わると思っていたのでしょうが、そんなことで済むはずがありません。
また、当日出席していたプロマネの上司は何も気が付かなかったのでしょうか?メールアドレスをアンケートに書いてください、と説明したのに?彼はMR出身で、過去にはMR資格も持っていたのに、何を勉強していたのでしょう?
また、当日会場で講演を一緒に聞いていたMR達はどう思っていたのでしょう?S社の執行役員が私に報告したのは、社内の誰一人として「プロモーションコード違反だ」とは思わず、「プロモーションコードに抵触している」ということを注意したMRは一人もいなかったそうです。
ここまでの事をしておきながら、当日出席した医師に「不適切な講演会であった」ことを説明し謝罪を開始したのは、私が2回目(8月)、3回目(9月)に、訂正案内がないことに対して怒ってからです。実は社内では「怒っている先生が一人(私の事です)いるので対応しなくてはいけない」という説明がされていた、という話も漏れ聞こえてきます。「私が怒っているから」ではなく、「プロモーションコードを冒涜した」からいけないのですが、自分たちがしたことの何が悪かったのか、会社として理解していなかった、いや、理解できなかった、のでしょう。
さて、ここまで読んでいただいて、S社がどんなことをしたのか、想像できましたか?現物の資料を見ると、その異常さに驚きますよ。常軌を逸しています。
SOPがまともにあって、社内コンプライアンスが普通に機能していれば、このようなプロモーションコードを無視した全国講演会を行うためには、1人2人の暴走だけでは不可能なのです。会社全体のコンプライアンスが機能不全に陥っていなければ、こんなことは起きません。
実は本件について、内資・外資の製薬会社複数社の現役やOBのコンプライアンス担当/役員、経営企画などの方々と、実際の資料を見ながら勉強会を数回実施しました。参加者は全員、「今の時代にこんなことをしている会社があることが信じられない」「プロモーションコードをバカにしているのか」「製薬業界から退場して欲しい」と怒り心頭でした。
本件は厚生労働省 医薬・生活衛生局 監視指導・麻薬対策課による医療用医薬品広告活動監視モニター事業の調査対象にしたので、厚労省の調査も開始されていますし、製薬協も調査をしていますが、報告書が出るまで時間がかかりますし、また、事案の詳細が発表される訳ではありませんので、学習資材として使うには少々問題があります。
このような状況の中、私を含め製薬会社数社の関係者で議論をしました。RISFAXが報道して下さったことは大変重要なことだとは思うのですが、記事には量の制限があるため、RISFAXの記事を読んだだけでは、具体的に何が起きていたのか、を理解するのは難しい、というのが我々の判断です。我が国の医薬品プロモーションの劣化を防ぎ、製薬会社の情報提供活動を適正な状態に戻すために、本事案を重大違反事例として製薬会社コンプライアンス担当者の勉強会を実施して情報共有をすることが必要だ、という結論に至りました。
別途製薬会社各社にはご案内をする予定ですが、各社個別の勉強会の実施も可能です。本事案の勉強会に興味がおありの製薬会社の方はご連絡ください。